衣食住なくして人生なし
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貧乏人の浅はかな考えでは、金持ちというのは毎日とんでもない御馳走でも、食べているように思いがちである。
だがアマノ君やユカリさんなどが、何を食べていたかを思い出してみても、定食屋でサンマ定食や肉ジャガを、好んで食べていたような記憶がある。
また邱永漢さんの奥さんの出している家庭料理の本を見ても、意外に地味な野菜料理や海鮮料理が多い。
つまり裕福な人間というのは、何が自分を支えているかをよく知っているし、それをお座なりにしないことがいかに大事で成功につながるかを、よく知っている。
そして彼らは健康だからこそ自らの身体に必要な栄養を、舌や身体で感じることができ、躊躇なくそれを求めることができるのだ。
ウチの食卓にはせいぜい飯茶碗と皿と、お椀の三種類くらいしか並ばなかったが、裕福な家庭では食卓に食べると食べないとは問わず、何種類も惣菜が並ぶ。
そしてそれを各人が自分の体調や健康状態に合わせて選んで食う。
それがつまり裕福な家庭の、裕福な食事というものなのだろう。
彼らは子供の頃からそういう食事を覚え、そして大人になってもそれを繰り返して健康を保っている。
つまりそれがまた裕福につながるわけである。
ところがウチのような貧乏人となると、最低限の条件も満たしていない日が多い。
育ち盛りの子供なら一日最低50グラムくらいの、タンパク質は絶対必要なのであるが、貧乏人はそんなことはお構いなしに、インスタントラーメンやカップ麺などで一食を済まそうとしてしまう。
卵の一つも添えるでなし、そしてツナ缶をあけるでなし。
もちろんそれはそれで腹がふくれて、空腹がとりあえず癒されるからなのだが、こういう食品ではタンパク質が取れないし、おまけに野菜不足だからビタミンやミネラルに乏しく、カロリーも高いからアレルギーの誘因にもなりやすい。
野菜やタンパク質が不足すると免疫力はどんどん落ちるし、カロリー過多によるアレルギーは、大きなストレスとなって大量のビタミンを消費する。
つまり病気にかかりやすく、そして治りにくくなるのだ。
だからそういう食事を続けることによって、貧乏人はどんどん不健康になり、そして感覚がどんどん麻痺していくのである。
そしてその鈍った感覚がまた、判断を誤らせ失敗させる。
だから泥沼なのである。
質的に言っても量的に言っても、裕福な人間や家庭というものは、そうして食を初めとする衣食住にこだわっているし、熱心に研究しているようである。
そしてまたそれが日常の健康や、イザとなった時の大きな底力を出せる秘訣となり、活力になっている。
豊かに育った人間だからと言って、子供時代に食べさせられた惣菜を、そのままわざわざ自分で作って食べるとは限らない。
なぜならそれは手間もかかるし、お金もかかるからである。
それなのに彼らがそれらを求め、わざわざ自分の家で作ってまで食べるということは、健康で正常な神経と肉体が、そういう食品を要求して止まないのだとしか考えられない。
そしてそれを存分に食うことが、全ての始まりであり終わりであると、彼らが考えているとしか思えない。
邱永漢さんの本を読むと、息子が結婚相手を連れてきたとき、その娘の節度と食欲を見たという。
気立てが良く、しっかりメシを食う女性を合格としたという。
裕福の根本には健康があり、そしてそのために衣食住を充実させる必要がある。
衣食住なくして人生なし、というのが裕福な人々の信条なのだろう。
(第4章・おわり)