育ちのいい人間はなぜ、自分の失敗をうれしそうに話すのか
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ボクは自分からは滅多に他人には話しかけないし、自分のことも進んで他人に話すことはない。
それは恐らく小学生のころから貧乏だったせいもあるし、両親がいつも夫婦ゲンカに明け暮れ、それに怯えるような毎日だったから消耗していたせいもあるだろう。
さらに鼻づまりで頭痛持ちで、うまく笑顔が作れなかったせいもある。
おまけに中一の時に転校したから、小・中・高・大学と共に進学した友人など一人もいない。
女兄弟もいないし、親しい女友達というのもいなかった。
だから女の子と話すのも全く苦手である。
だからボクには自分の腹を割って話をしたり、平気で失敗談をできるようなそういう知り合いはいない。
親だってそうだし友人だってそうである。
だから大学に入ってアマノ君という友人と知り合った時、彼が自分の体験談や失敗談を、いつもうれしそうに平気で話すのを見てとても驚いた。
何でこんな事までこいつは話すのだろうと、いつも不思議に思いそして感心した。
たとえばある日、アマノ君はパチンコをしていたら置き引きに会ったのだが、「次の日犯人らしきオバサンに、再び会って文句を言ったらヤクザみたいなヤツにすごまれた。
お金はいいからとにかくボーリングの券だけでも返して欲しいよぉ!」などとそれを話した。
またある時○○教会という、当時大学で問題になっていた宗教団体の勧誘員が、アマノ君のアパートにやってきたのだが、彼はその勧誘員を中へ入れて延々その人の話を聞いた。
もちろん入信はしなかったがシンガイ君に「そんなヤツ、部屋の中に入れるかー普通」と言われて彼はこう答えた。
「だってー寂しかったんだもん」。
さらに京都はニシンそばが名物だから、「ニシンそばを誰か一緒に食べにいってくれないか、お金はボクが出すし!」とクラス中のヤツに言って回ったら、ほんとにクラス中のみんなが集まってきちゃって「困っちゃったよー」。
綺麗なお姉さんに誘われてついて行けばニューハーフだったし、マンションの近くに車を止めていたら警察に通報されるし、そんな感じで彼はボクらから見るとつまらない失敗を次々と繰り返し、そしてその一部始終を恥ずかしそうに、だが微かにうれしそうに話した。
置き引きにあった時はさすがに悔しそうにしていたが、それでも半分はうれしそうにその話を何度もした。
ボクの周囲にはそれまでそういう、自分の恥ずかしい失敗談をうれしそうに話す人間が一人もいなかったから、ボクはそんなことを平気でするアマノ君にとても驚いた。
ビートたけしさんもTVやラジオでよく自分や他人の失敗談をよくするけれど、アマノ君もそういう感じで山ほど話をした。
もちろん彼はもっとおっとりした感じのしゃべり方だったが、そんな彼の失敗談を聞きながら、ボクは「何でこいつそんな失敗をするんやろ、ドジやなー」とか、「何でこいつ、もっと気を配らんのやろう、アホやなー」などと思っていた。
そして「自分ならそんな失敗なんか絶対しないぞ」などと思って、ちょっとした優越感に浸っていたように記憶している。
だがしかしボクならたぶん絶対話さないようなそんな恥ずかしい話を、彼がなぜ平気でしかもうれしそうに話すのかはよくわからなかった。
裕福な人間はなぜか自分の失敗談を平気で話すのだ。