共産主義者が、頑固なわけ
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共産主義者や宗教人が、なぜいつも頑固でいつも指導者面しているかというと、それは彼らが最初に『自分たちは正しい』と勝手に決め、それを根拠にモノを言っているからである。
彼らは現実がどうあれ、まず初めに「自分や自分たちの考えは正しいのだ」と決めつけ、「自分たちは優秀だから愚かなるモノを導かなければならない」
…と勝手に優越感に浸りそういう態度をとる。
彼らは清末の白蓮教徒が腹に鉄砲や刃物を突きつけた状態で、「白蓮教徒は死なない」などと何万遍も唱えて戦いに臨んだように、「自分たちは正しい」とか「自分たちは間違っていない」という意味のことを、呪文のように繰り返して何度も唱え、そしてその考えを普遍の真理であるかのように、自分の心の奥底に植えつけそれに基づいて行動する。
それは言わば自己洗脳であり、また司馬遼太郎さん風の表現で言えば、「カラの筒の周りにどんどんどんどん都合のいい理屈を巻きつけて行き、その芯がどうなっていたかは省みない」ようなことなのである。
がそうすることによって彼らの心と組織は安定し、平気で他人をたしなめたり、それによって信徒の財産をかすめ取ったりできるようになるのである。
だがしかしそれは試合の前に勝ち負けをあらかじめ決めておき、実際にどういう結果になろうと自分たちの勝ちとするような卑怯なことなのである。
何が起きても自分たちの責任は絶対に認めず、全て他人や外部のせいにする、とんでもないことなのである。
そしてそういう無謬性と優越性を心の柱としてしまったら、それを認めない人間やそれを良しとしない組織は、全て「ケダモノ」に見えてしまう。
自分たちが絶対的に正しいとか、自分たちは優れているということを、絶対的な信条として生きている人間にとっては、それを脅かす者が自分たちの生命や生活の全てを脅かす、邪悪なケダモノにしか見えなくなる。
そのケダモノが「聖なる者」つまり彼らたちの言う事を聞かず、あまつさえ自分たちを反駁したり非難したりして攻撃してくることに、耐えられなくなる。
だから彼らは自分たちを批判する敵に遭遇するやいなや、悪魔のささやきに耳を傾けてはいけないとばかりに耳を塞いだり、或いは逆に大声であることないことわめき散らして、それを遠ざけようとしたりするわけである。
だがしかし実はボクも同じような病気にかかっていた。
長く貧乏に暮らしていたせいか、ボクもいつの間にか卑怯な共産主義者や宗教人と同じように、自分を肯定しそしていつの間にか、「自分は間違っていない」などという空っぽの筒に、ぐるぐる屁理屈の糸を巻き付けるようなことをやっていた。
つまりボクは知らず知らずのうちに、貧乏人は間違っていないと思い込み、そしてそのことを前提にそのことを真理だとして、無意識にモノを見たりモノを考えたりしていたのである。