育ちの良い人間が親から受け継ぐ無形の財産とは

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必需品というのは結局いつかは、手に入れなければならないモノである。

 

だから機会とお金があるうちに、ちゃんと手にいれておかなければならない。

 

いやお金がなくとも、手に入れなければならない。

 

裕福な人間はそういうことをちゃんとやっているし、そういう意識をちゃんと持っている。

 

だから裕福なのだ。

 

ところが貧乏人は何が必需で何がムダなのかすら、良く分からない。

 

必需品をゼイタクだとかムダだと思って安易に買い逃す。

 

そして後で高値で買う羽目になったり、裕福な人間に遅れをとったりする。

 

必需品は必ず要るものなのだ。

 

だから今日買っても明日買っても、一週間後に買っても全く同じことなのだ。

 

必要量も変わらないし、そして実際の消費量もさして変わらない。

 

だから例の主婦のように情報を集め、他人に使用感を確かめ、そして手頃な価格に値段が近づいたら、すぐさま手に入れようと準備しておかなければならない。

 

手持ちのお金の少ない貧乏人にとって、お金のある将来に高い買い物をするか、それともお金のない今思い切って安い買い物をするのかは、ものすごく難しい選択なのであるが、必需品ならどうしても今それを思い切って買わねばならない。

 

少量で割高な品物を避け、そして勇気をふりしぼって、「大きい方ください」と大きな声で言わなければならない。

 

そうすれば僅かずつではあるが、得用の「得」の分だけストックが増える。

 

金銭的にも物質的にも余裕が生まれ、そして少しずつでも生活が豊かになる。

 

そうして長期的にみて、早いうちに手に入れておいた方が絶対得だという場合に、ちゃんとお金が出せるようになれば、貧乏に生まれても裕福な暮らしができるようになるはずなのである。

 

裕福な子供はそういう親のやり方を見て育ち、そうしてその親のやり方を苦もなく真似る。

 

そして一方貧乏な家の子供は貧乏な親のやり方を見て育ち、そしてそのやり方を受け継げない。

 

だからこそ裕福な家に育った子供はまた裕福になりやすいし、そして貧乏な家に育った子供は貧乏になりやすいのであろう。

 

そうして裕福な親元に育った子供は、親の行動を真似して再現するだけで、自然と質素で豊かな生活を手に入れることができてしまう。

 

無理をせず食事や健康を大事にして堅実に生きる、そんな暮らしを手にすることが自然にできてしまう。

 

そういう生活の一つ一つのノウハウが、実は裕福な育ちの人間が、親から受け継ぐ貴重な財産なのである。

 

金銭や物の形はしていないが、豊かな親の元に生まれ育ったことによって得た、無形の貴重な資産なのである。

 

そして一方貧乏人の子供は、貧乏人も実は裕福な家の子供と同じように、自分の親のやっていることを真似て再現しているだけなのである。

 

しかし親がそういう貧乏な人間であったが故に、残念ながら貧乏を呼び込むような暮らしをしてしまう。

 

我慢をし無理を重ね、そして食事や寝具に気を配らない、そんな生活を平気で送ってしまう。

 

貧乏人はそうして親から無形の負債を背負わされているのだ。

 

世間では家庭という壁に阻まれて、みんな似たような暮らし方をしているものだと錯覚しがちであるが、そうして裕福な家と貧乏な家とでは、日々まるで違った生活と生活を通した教育が、行われているのである。

 

そしてその子供たちも、それぞれ裕福になる暮らし方や、貧乏になる暮らし方を学んでいるのである。

 

だから世の中というものは、裕福と貧乏にはっきり分かれてしまうのであろう。

 

「貧乏人は正しくない」貧乏人は常にそう心に念じて、箸の上げ下ろしから裕福な家庭から学ばなくてはならない。

 

それが裕福になるための第一歩であるとボクは思う。

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