育ちのいい人間には、良いモノの匂いが嗅ぎわけられる
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裕福な人間はガラクタをつかまない。
そしてその一方で貧乏人は、山ほどガラクタをつかみ、せっせとそれにムダなお金と時間を使っている。
これが本当だとすると裕福な人間はなぜ、ガラクタをつかまないのだろう。
確率論的に言えば、たとえ貧乏人であろうと金持ちであろうと、目を閉じて「エイヤッ」とモノをつかめば、同じ割合でガラクタを引いてくるはずである。
世の中には本当に運の良い人間というのもいるが、いくら裕福な人間でも目をつぶっておれば、ガラクタをつかむ確率は貧乏人と大差ないはずなのである。
ところがボクの観察によると、育ちのよい人間というのは、ガラクタやハズレをなかなかつかまない。
そして間違ってつかんだとしても、さっさと手放してしまえるのである。
たとえばパチンコのようなものでも、貧乏人は負けが込んでも財布をはたくまで続けてしまうが、裕福な人間はある程度負けた時点で、さっさと負けを宣言して途中でやめてしまえるのだ。
ボクなどは貧乏人だからパチンコでたとえ
二三千円しか負けていなかったとしても、「絶対に取り返すぞ!」
としゃかりきになって頑張ってしまうというのに、彼らはそうではない。
出ないと判断すれば、何万負けていてもさっさとやめてしまえる。
そしてまた裕福な人間は、当たりをつかんでもちょうど良い状態で止められる。
たとえばボクの知り合いの女の子などは、運良くいい台をつかんで玉だとかコインだとかを、そこそこ出したら「やめる」と言ってさっさとやめてしまう。
いい台というのはアタリを引いたということであるから、押せ押せでどんどん突進するのも、ギャンブルの一つのセオリーだと思うが、彼女はツキが落ち始めた下り坂の途中ではなく、ツキだした登り坂の途上でやめてしまえるのだ。
「えーっもったいない。
まだもう少し出るかも知れないのに!
ツイてる時にやめるなんて。これからじゃない」。
…などと卑しいボクは彼女を説得する。
だがしかし彼女は
「でももう飽きちゃったから。
あなたはもうちょっとやってていいよ。
あたしそのへんでちょっと遊んで来るし」
などと言ってやっぱりやめてしまう。
勝ちだして調子が出だしてさあこれから!
と言うときにやめるなんて、貧乏人のボクからすれば、勝ちをドブに捨てるようなものだ。
がしかし育ちのいい人間は、そのあとに手にできるかも知れない何万円のお金より、手元にあるコインを大事にする。
少々の負けより、勝ってる気分の方が優先らしい。
貧乏人にとってパチンコやギャンブルに注ぎ込むお金は、たとえそれがわずか千円であっても、必ず取り返さなければならない金である。
なぜならその金があるのとないのとでは、生活の豊かさが全く違うからである。
貧乏人がギャンブルに投じるお金は、生活費の一部なのである。
しかし彼女のような育ちのいい人間の二三千円は、遊園地の入場料のようなものらしくて、取り返さなければならないお金などではないらしい。
何千円だかの入場料を払って遊園地に入り、遊んでつまらなくなったらどこかで御飯でも食べて家へ帰る、そういった感覚のようである。
だが一度にあまり大きく賭けないというのも、ギャンブルで負けないセオリーである。
というのもギャンブルの負けというのはたいてい、負けが込む前の負け分より、負けが込んでからのさらに負ける分の方が、はるかに大きいからである。
たとえば二万円つぎ込んで負けた時、そこで止めれば負け分は二万円ですむが、そこで逆上して負けた二万円を取り返すために、さらにお金をつぎ込んで勝負を続けると、結局五万も六万も負けてしまうことがしょっちゅうだ。
そしてそうなると次はその五万を取り返さないと気が済まないから、そこで一万や二万勝ったとしてもそこで止めることができない。
で結局また負けを増やす羽目になる。
最初に二万円負けたときに
「今日はツイてない」と諦めておれば、次に二万円勝った時にチャラになったのだが、逆上して一時に負けを増やしてしまったために、次に二万円勝っても勝った気分になれず、そのまま勝負を続行して結局また負けてしまう。
そんなことがしょっちゅうなのだ。
だから彼女もよくパチンコをしていたが、そんなに大きく負けがこむということはなかった。
彼女の投資は最小限だから、たまに勝った程度で、いっぺんに取り返せてしまうからだ。
しかも取り返したその金は彼女の意識の上では、とっくに無いことになっている余分な金であるから、以前から欲しかったけれど、ちょっと我慢していたモノを手に入れるのに使える。
神様にプレゼントされたような予定外の収入だ。
ボクなどもパチンコやパチスロなんかで大勝ちしたりすると、来月か再来月に買う予定をしていたものや、少し値が張って普段なら手を出しにくい商品を、直ちに買い込んでしまうが、何のきがねもなくお金を使ってしまえるというのは、それはそれは本当に気持ちの良いものである。
その気持ちの良さもボクが、パチンコによくはまる大きな原因の一つなのだが、ボクの場合は後日またそれ以上の金額を利子をつけて、パチンコ屋に返してしまうことが多いから、そういう意味では彼女のやり方の方が断然妥当である。
しかしなぜ彼女が何千円も負けていても、平気で「疲れちゃったから」といってゲームから降りてしまえるのかは、長い間よくわからなかった。
どうしてそういう事ができるのかと尋ねても、彼女は「わかんない」としか答えなかったし、強いて尋ねても彼女の口からは、「何となく居心地わるい」とか「飽きちゃった」とか
「疲れちゃった」とかいう感覚的な言葉しか、出てこなかったからである。