あとがき
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裕福な家の子供が、なぜまた裕福になりやすいか。
そして貧乏な家の子供が、なぜまた貧乏になりやすいか。
それは人間というものが、自分の育った環境や見聞を基準として、生きるものだからであろう。
だから裕福な家に育った子供は、裕福な親から裕福な生き方や暮らし方、そしてその良さを学んで、衣食住を大事にする裕福な人間に育つ。
そしてその一方で貧乏人は、貧乏な親から貧乏になるような生き方や暮らし方、そしてその過ちを受け継いで貧乏になる。
家族間に飛び交う言葉も、裕福な家庭では明るく前向きな、プラス思考の言葉をかけられるのに対し、貧乏な家では我慢しろ・ゼイタクだ・仕方がない・
あきらめろといったマイナス思考の言葉ばかりで、身内が成功すればねたみ、失敗すればそれ見たことかとあざけるだけなのである。
だがしかし世間ではそうは考えていないらしい。
裕福な人間と貧乏な人間が、行動や価値観において全く異なっているとも、その結果として人間が裕福になったり貧乏になったりするモノだとも、思われていないらしい。
もちろんそれは裕福な人間と貧乏な人間の持つ物量の差が、誰にでもはっきり見える分かりやすいモノであるのに対し、裕福な人間と貧乏な人間の考え方や、価値観の差といったモノは目に見えず、誰にでも分かるような形をしていないからであろう。
それに裕福な人間は貧乏人と比べて相対的に少数だから、裕福な人間や家庭に共通した考え方や価値観を、裕福な家庭によくある一般的なものとして感じるだけの機会に、なかなか恵まれないからであろう。
ボクは大学に入って初めて、裕福な人間というものに触れた。
自分より格段に裕福な暮らしをしている多くの友人たちと出会い、そして彼らを通して裕福な家庭の価値観や実情というものを垣間見た。
そうして初めて「世の中には堅実にしかも、豊かに暮らしている人間や家庭がたくさんあるのだな」と知り、彼らの家庭と自らの親の振る舞いを比べることによって、「貧乏人はとどのつまり間違ってばかりいるのだな」、とようやく気づきはじめたのである。
がしかし今になって思えば、それは不思議なことであった。
大学の難しい入試をともに突破して来たという一種の同胞意識や、日本の各地から単身京都へやって来たという心細さもあっただろうが、そういう裕福な家庭の子女であるはずの彼らがなぜ、顔色の悪い服装も安っぽい見るからに貧相で貧乏人のボクと知り合いになり、友達付き合いしていたのか。
そしてまたなぜ彼らがわざわざ汚くて狭くて湿気の高いボクの部屋に集まって、平気で麻雀したり酒を呑んだりクリスマスパーティーまでしていたのか。
そこには生まれた家も環境も生活水準すらてんでバラバラであるのに、そういう事を全く気にしないでワイワイ付き合える、まるで小学生のような賑やかさや明るさがあったのだ。
「金持ちだ貧乏人だと言ってもやっぱりみんな同じなんだな。
同じような事を考え同じようなモノを食い、そして同じようなことで悩んだり失敗したりしているんだな」。
ボクはハムスターのように押し合いへし合いしながらそう思い、そして裕福というものが決して手に届かないようなものでも、貧乏が決して克服できないものでもないなと思った。
京大のような大学には、全国から様々な人間がやって来る。
難しい試験をくぐり抜けてきたというたった一つの共通点を除けば、経済基盤も家庭環境も文化も思想も、持ってるモノや常識すらも全く異なる連中が。
そこでは物心ついてから長年培ってきたはずの個人の常識や文化など、まるで意味を成さない。
言ってみればそれは単なる個人のクセでしかなく、隣に座っている者ですらまるで違った価値観を持ち、違った文化を持っているのである。
そんな連中と知り合い、そして青年期の貴重な何年かを共に過ごし自分を一から作り直す。
それが大学の良いところであり厳しいところでもある。
だがしかしこと貧乏や裕福という問題となると、そうやって貧乏人と裕福な人間が同列に過ごし、そして直に触れあうことができる場は、もしかすると大学のような場所と、大学生という時代ぐらいしかないのかも知れないな、と最近ボクは思うようになった。
汚い下宿であってもそういう様々な人間が一同に会し、天下国家や宇宙や最新科学などの話から、くだらない話や下世話な話まで、様々な交流が平気でできるのは、もしかすると大学生ぐらいの年齢が最初で最後なのかも知れない。
だから貧乏人は、無理をしてでも良い大学に行くべきだと思う。
そして彼らと共に朝飯をバリバリ食い、大きな布団でぐっすり寝てみるべきだと強く思う。
たとえそれでどんなに惨めな思いをしようとも。
たとえそれでどんな肩身の狭い思いをしようとも。
(了)