ケチには、幸福を創造する機能がない
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「それにだいたいユーメージンがあるじゃない」と、彼女がそう言った。
「ユーメージン?」「二十四時間お風呂に入れる機械よ。
一年中お湯を替えないで、お風呂を炊いたままにしておくと、ランニングコストが安くつくんだって。
ちょうど今ウチでそれ買おうかどうかって、パパとママが話してるんだけど」
「ふーん」。
話によるとその二十四時間入浴できる、『湯名人』というシステムは、住み込みなどの従業員の多い家族経営の会社や、工場をターゲットに開発されたモノらしい。
印刷屋や魚屋など、ひどく臭いがつくような職場では、そういうニーズが大きいはずだから納得である。
そして一般の家庭でも、数年使えば得になるらしい。
「ああっ」という感じである。
湯名人のような商品は各社から売り出されそこそこ好評だそうだが、しかし水を替えずにお金とエネルギーを節約するという発想自体は、風呂の水を入れ替えないで、アクセサリーを買った例の主婦と殆ど同じである。
あの主婦のケチぶりは風呂の水を入れ替えなければ、年間何万かの水道代の節約になるといういい例を示した。
そしてさらにそんな赤茶けた湯でも、人は風呂に入りたいのだといういい例を示した。
だがしかしこの主婦のように赤茶けたお湯に毎日つかるのは、常人には真似できないしだいいち快適ではない。
だから風呂の汚れを濾過フィルターで取り除き、バイ菌や臭いをオゾンで滅菌したり脱臭し、お湯の温度も維持できるような、システムを開発して売っているのである。
考えてみればそれはたった一枚の、濾過フィルターを入れるかどうかの差でしかない。
だがただガマンして赤茶けた風呂につかっているオバサンと、湯名人の風呂で毎日気持ちよくリフレッシュしている家庭の人間とでは、まるで豊かさが違うし明るさも違うハズである。
もちろんそれで実際、どれだけのコストが節約できているかはわからないが、しかしいくばくかのコスト削減と資源の節約にはなっているだろう。
以前より安いコストで同じ豊かさが得られる。
あるいは以前と同じコストでより多くの豊かさが得られる。
それこそがこの商品の素晴らしさであり、この商品の売れている原因である。
ボクにはこのまさに「紙一枚の考え方の差」が、ケチと豊かさを分けているという事がとても示唆的で面白く思えた。
そしてそれこそが生産の本質であり、豊かさの創造なのだと知った。