裕福な家庭は、実は星の数ほどある
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そう考えてみると日本には彼らのように、裕福に暮らしている人々が、星の数ほどいることになる。
というのも彼らの実家のように、駅前でアパートや駐車場を経営しているような家庭は、日本中に何十万軒もあるからである。
そしてまた工務店やガソリンスタンドや、大きな商店を経営している家も、それこそ星の数ほどもあるからである。
もちろんそういう人々が全て、裕福な暮らしをしているなどとは言わないが、しかし彼らが自由に動かせるお金と時間と資産を、サラリーマンよりたくさん持っているのは確かだろう。
そしてまた親子や親類・地域内の人々と、密接な人間関係を結ぶことによって自分たちの生活を築いている彼らが、サラリーマンより心的経済的な余裕を持っているというのも確かな話であろう。
だが彼らは自分たちが他人から言われるほど裕福であるとも、金持ちであるとも思っていないようであった。
他家より少し生活やお金に余裕があるとは気づいていたが、しかしそれは根本的な差ではなく、単なる偶然か誤差であるかのように振る舞っていた。
それもまあ当然だろう。
というのも彼らは別に毎日豪勢なフランス料理を食べているわけでもなく、着ているものだって何万円もするマドラスシャツや、何十万もするアルマーニの高級スーツを着ていたわけでもない。
御殿のような実家で暮らしていたわけでもないし、食べる物も毎日貧乏人のボクらと同じラーメンだとか焼き魚定食を食い、着るモノもアツギのシャツやグンゼのパンツだったのだから。
お金がかかっているのはせいぜい、冬に着るウールの上等なコートだとか、カシミア入りのセーターだとか。
分厚い羊毛布団だとか広めのベッドだとか。
そういった衣食住に関わるところにお金を使っているだけだから、彼らが自分たちのことを金持ちだと考えないのも無理はない。
そしてそれを裏付けるように、彼らは彼らでどこかで知り合った本当の大金持ち宅などに招かれ、そこで何かとんでもないことを見たり経験したりして帰ってくると、興奮してよくそれをみんなの前で話した。
「○○ん家に行ったんだけど、部屋ごとにビデオとステレオがあってなー、オーディオ・ルームにはJBLとかものすごい機材が山ほど積んであって、ビックリしたよ!」とか
「××の別荘に行ったんだけど車が四台も車庫にあってなー、夕方になると家族でそれを一人一台ずつ運転して、ふもとに晩メシ食いに行ったりするんだぞ!」とか言って。
だがしかし彼らだってボクから見れば、立派な金持ちであった。
見上げるような存在だった。
彼らはボクなどと違って、大学に通うためのお金をどうやって捻出しようかなんて、まるで悩んだりなどしていなかった。
そして何かを買うために別の何かを我慢したり、着るものや食べるものを削るだなんてことも、していなかった。
もちろん将来頑張って家を建てたり、会社を起こしたりしようというような、貧相な野望も抱いていなかったし、お金がなくなったらどうしようとか、病気になったらどうしようなんて心配も、全くと言っていいほどしていなかった。
家なら小さいながらもう既にあるし、家業があるのは当たり前のこと。
金がなくなれば稼げばよい病気になれば休めばよい、そんな感じだったのだ。
そして中古ではあるが自分の車を持ち、それで大学へ通ったり食事にでかけたりなんてことを、さも当然のようにやっていた彼らは、物心がついて以来「今日は飯を食べれるのだろうか」とか、「将来自分は一体どうなるのだろうか」
などと毎日脅えて育ってきたボクからすると、あまりにも恵まれあまりにも裕福な人間なのであった。
「どうやら世の中には金持ちとは違う、裕福な人間というものが存在するものらしいな」。
ボクは彼らを見てそう思い、そしてそれはまたボクの
「かわいい女の子と育ちの良い女の子」という分類に、どこか似ているなと思った。