ユカリさんを見て知った、裕福な人間の正体
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だがしかしそんなユカリさんと知り合って、鈍感なボクにもはっきりわかった事が一つだけある。
それは以前にボクが何となく抱いていた、「育ちの良い」というイメージが、実は全く何の根拠もない、映画やTVドラマで見ただけの想像であったと言う事だ。
当たり前のことであるが、裕福な家庭に育った子供というのは、子供の時からちゃんとしたモノを食ってるし、ちゃんとしたベッドや布団で眠っている。
だから健康だし元気だし、よく食べよく遊びよくしゃべる。
お金があるから心の余裕もあるし、親も研究熱心教育熱心だから勉強だってよくできる。
年上の知り合いも多ければ習い事や旅行の経験も豊かだから、誰に対しても物おじせずに話せるし、どんな場所に行ってもすぐ場馴れできる。
つまり育ちがいいと言う事は必然的に
「すごく元気で社交的」「誰とでも話せて明るい」と言う事であったのだ。
そしてそれは我が身を振り返ってみれば、当たり前のことであった。
そういう類の能力をまるで持ち併せていない、貧乏人の自分と比べてみれば、すぐにでもわかったはずの事であった。
貧乏人というのは子供の頃からロクなものを食べてないし、寒い部屋でいい加減な寝具で眠っている。
だから不健康で半病人。
頭痛持ちで腰痛持ちで鼻づまり、雨でも降るとヒザや腰が痛む。
だから陰気で無口。
お金がないから不自由で、親も勉強した事がないから、子供がいい大学へ進学しても平気で仕送りなどしない。
だから金もなければ余裕もない。
旅行も殆どしたことないし、笑い話の一つも持たないからコンパの席でもモジモジし、他人と話す話題もない。
だからいつも早めにトボトボ一人で家に帰り、腹を減らした野良ネコと一緒に遊んでいる。
何とまあ因果関係がはっきりしていることか!
「ははははは、考えてみたらそんなん当然やわ!
なんせ健康なんやもん!なんせお金があるんやもん!
知り合いだって経験だって全然多いんやもん!
元気なんが当たり前やわ、余裕があって普通やわ!
アホやなーオレは、今まで一体何勘違いしてたんやろ…」。
ボクは彼女のようなたくましさに触れて、初めて裕福というモノを知ったような気がした。
そしてまたそれがまともな人間の目指すべき、正しい方向であるように思えた。
育ちのいい人間はたくましいのが当たり前である。
そして健康であり朗らかであり、快活であるのが当たり前なのである。
親は子供がそういう朗らかな性格に育つように、ちゃんといつも気を配っているし、そして健康にも教育にもお金の使い方にも関心を持っている。
だから育ちのいいコは元気で、いい大学ぐらい行ってて当然なのである。
もちろん本人の努力も大きいけれど、親がそういう暮らしと生き方をしていれば、子供もそれを当たり前のように感じ、それを真似て育つのが普通なのである。
考えてみればそれは本当に当たり前で、言うまでもない事だったのだが、どういう訳かボクはそれまで全くそういう考えに至らなかった。
そして「育ちがいい」と言うことと、「お金がある」と言うこととを完全に一緒くたにしていた。
「育ちがいい」と言う事は、本当はユカリさんのように「健康でたくましく、誰に対しても物おじせず話せるように育てられた」と言うことであったのだ。
ユカリさんはその後やはりその時つき合っていた大学生の彼氏と結ばれた。
高校時代からつき合っていた彼氏と結婚した。
「良家の子女は良家の男と結ばれる」。
だからボクはそういう仮説を立てたのだ。
(第一章・おわり)