明治時代の機械がすぐ故障したわけ
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日本人には昔からこういう、「余裕」と言う概念がなかなか理解できなかったようで、明治時代の日本にも似たようなことがあったらしい。
真偽のほどは定かでないが、それは日本が鎖国を解き、外国から様々な技術や学問をどんどん輸入して、西欧文明に追いつき追い越そうとしていた頃の話である。
ある工場でとんでもない大金をはたいて、高価な生産機械を輸入した。
文明国の最先端の機械を買い、当時の日本最高の知能を持つ若い技術者たちに、組み立てさせて運転させてみたのだが、どういう訳かその機械をうまく動かせない。
すぐに故障して生産が止まってしまうのだ。
当時の日本としては途方もない金を支払って輸入した機械である。
だからそれがまともに動かないとなれば、切腹ぐらいではコトは収まらない。
だから技術者たちは懸命にマニュアルを読み、部品の一つ一つを確かめ、そして動かしてみるのだがやはりまたすぐに故障する。
これでは仕事にならない大損だ、何のために大金をはたいて、高価な機械を輸入したのかわからない。
技術者や担当者がそうして頭を抱えている頃、ようやくドイツの技術者が到着した。
彼らもその機械がうまく動かないと聞いて、最初は不思議がっていたそうである。
その手のトラブルは、ドイツでも聞いたことがないと言う。
しかし彼が実際に機械の設置してある工場へ行き、そして当のその機械を見たとたん、烈火の如く怒って機械の土台を指差し「誰がこんなひどいイタズラをしたんだ。
ボルトをなぜこんなにきつく締めたんだっ!」と怒鳴ったそうである。
日本の担当技師は驚いて彼の指差す先を見てみたのだが、そこにはちゃんと機械が土台にしっかり固定されている。
入念に念には念を入れて組み立てたのだから当たり前だ。
しかしドイツの技術者の怒りの原因はそれであった。
「このボルトは振動しても機械が壊れないように、ワザとスカスカに余裕を作ってあるのだ!。
こんなコトをしたら機械が壊れるのは当たり前だ。
そんなことは機械の常識だろう。
日本人はバカか!」そんな感じの事を言ったそうである。
機械というのは必ず振動するものである。
だからその振動を上手く逃がすために、土台にはスカスカのボルトなど使う。
また夏と冬では金属は膨張したり収縮したりするから、その分の余裕も方々に作ってある。
電線をワザとたるませて張ったり、電車のレールの継ぎ目をワザと開けておくのもそういう理屈である。
単なる物理であり余裕である。
しかしそれが当時の日本人には理解できなかった。
当時の若い技術者は、土台はとにかくしっかりしていればいいのだろうと考え、そしてわざとスカスカにしてある部分も、「独自に工夫して」しっかり固めてしまっていたのだ。
おかげで機械の振動が逃げ場を失い、弱い部分にかかって機械がすぐに壊れたワケである。
そういう余裕を作るという事は機械のイロハのようなものだから、書物にも書いていなかったしマニュアルにも載っていなかった。
戦国時代の日本には世界一鉄砲があったワケだから、そんなことくらいは知っていそうなものだ。
しかし徳川幕府が鉄の利用やネジの作成を制限したために、普通の人間は誰もそんなことを知らなかったのだ。
だがドイツと言うのはヒトラーですら、終戦まで国民にちゃんと食料を供給したお国柄である。
ジャガイモなどバターがなくて食えないので、敗戦直前でもゴロゴロあちこちに、捨ててあったなんて言う話まである。
だからそういう「余裕を作るということ」は、ドイツでは当たり前以前の話であったのだが、明治の日本では全くそういう考えが理解されていなかった。
残念ながらそれは今の日本でも同じなのかも知れない。
余裕とは決して余分ではなく、必要なのである。
余裕というのはただ空いている時間や、空いている空間などではなく、「必要だからわざわざ空けてある時間や空間」なのである。
だから余裕を削るとすぐガタがくる。
明治時代の機械のように、すぐ故障したり傷んだりする。
そしてさらに余裕の概念を理解していない人間は、平気で他人の余裕も削ろうとするから、世の中全体の余裕の総量も、どんどんなくなっていく。
貧乏人はそうして余裕をなくす。
余裕を無駄なものと理解している以上は、当然そうして必要な余裕を削る。
余裕がなければ健康も笑顔も生まれないから、貧乏人は笑えないのである。