キレイになった近頃の女のコたち
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春は明るい季節である。
分厚いコートや上着を脱いで、街を歩けば心も軽い。
経済的な理由などから一旦は大学を中退し、35を過ぎてから再受験して
ようやく大学に戻ったボクは、長年にわたる受験のストレスからも解放され、この春はずっとウキウキしていた。
しかしついこの十年ほど前、大学に入ってやれ金がないやれ単位がとれない、八方塞がりだなどと散々苦しみ
のたうち回っていたような気がしていたのに、世間ではもう十六年という歳月が流れ、そしてボクはもうすっかりオジサンと化してしまっている。
光陰矢の如し人老いやすく、学成り難しなんて昔の人は仰々しく言ったけれど、ホントにそんな気分だしホントにそんな感じだ。
ボクが最初に大学に入ったのは1980年の春のことで、学科は工学部の石油化学科というところであった。
京都の百万遍という交差点のカドに建っている建物の中にあって、福井謙一教授が「フロンティア理論」でノーベル化学賞を受賞した。
だからもしかすると読者の中にも、ウチの学科の名前ぐらいは知ってる方もいるかも知れない。
しかしそこは昼間でさえ何だか薄暗いホコリっぽい地味な所で、漫然とした専門授業と実験がギュウギュウ詰めのカリキュラムで行われる、ただのつまらない場所であった。
もちろん福井先生がノーベル賞を受賞した当時は、さすがにここも少しは華やいでいた。
ボクなどもよく工学部9号館の玄関を入ったすぐのところに、誇らしげに掲げられてあったド派手なチャンピオンベルトのような、福井先生の受賞記念の黄金色のプレートを見上げながら、「よーしボクもいつかはこんな凄い賞を取ってカエル飛びでもしよう」
などと大それた事を考えたこともあった。
けれどしかしそこはそんな光りあふれる場所などではなく、教官たちが学生に課題をテンコ盛りに課し、そしてとにかく技術者を促成栽培して世の中に出そうとする、よくある詰め込み型の教育機関でしかなかった。
だから不器用でスロースターターのボクは、すぐに行き詰まった。
ドイツ語の単位がとれず、自然科学や専門の単位不足で待ったがかかり、都合三度も留年した。
元々ボクは化学にはあまり興味がなく、しかもその学科を薦めた親もまるで学業に理解がなかったせいで、結局学業ごと諦めねばならない羽目になった。
それについてはまた別の機会に書くことにするが、しかし退学届けを出したときに
振り返って見た福井教授の金色のプレートはやけに大きく見えた。
そうしてそれはボクに「必ず帰ってこいよ」と語りかけていた。
しかしそれももう今はそこにはない。
というのも学科自体が改組になって、石油化学科もなくなってしまったからである。
ほんとにもう月日のたつのは速い・速過ぎる。
だが今回ボクが大学に戻ってみて一番驚いた事が何かといえば、自分の通っていた学科がなくなっていたことでもなく、福井先生のノーベル賞受賞記念のプレートが、見当たらなくなっていたことでもなかった。
それは何かというと「学内にやたら滅多らキレイな女のコがたくさんいる」と言うことであった。
京大だって男女共学だから女のコはいる。
がしかしボクが石油化学科に通っていた頃は、学内でこんなに女のコの存在を感じる事はなかった。
なのに今は毎日が合同コンパか十一月の学園祭のような雰囲気である。
統計を見ると確かに女のコは増えている。
十五年前は新入生2000人のうち約200人が女性だったが、今は3000人弱のうち350人になっているから、絶対数でも比率でも増加している。
しかしそれにしても少し腑に落ちない。
何せそれでもたった12%しかいないのだ。
ボクの目や心を奪うような女性が、そんなにたくさんいるはずがない。
一体全体これはどういうことだ?
ボクがただのジジイになってしまったのか、それとも本当にキレイな女のコが増えたのか?
どちらにしてもボクは以前のボクではなくなっていた。