第3章、裕福という価値、貧乏という病気記事一覧

アカイさんは学部を卒業して、大学院に通っている間に、その「ちっとも美人じゃない、子ダヌキみたいな女の子」と結婚した。親兄弟など周囲に反対を押し切ってではなく、双方の親達にせかされてである。しかしアカイさんがなぜ、ディスコで知り合った美人の彼女ではなく、子ダヌキみたいな女の子の方を選んだのか。そして彼らの親たちはなぜ、社会にも出ず稼ぎもない彼らに、喜んで学生結婚をさせたのか。当時のボクには全く理解の...

アマノ君はちょっと個性的な、髪をした学生だった。なんと言えばいいのかよく分からないが、とにかくちょっと変わった髪質の持ち主だった。その髪は彼のアイデンティティを示す強烈な材料で、彼が表を歩いていると、誰もが遠くからでもすぐそれが彼だと気がついた。そして誰かに彼のことを話す場合にも、「ほらアノこういう髪をしたヤツ」と言えば、たいていの人間がすぐ思い当たった。社交的で友達と遊ぶのがとても好きな彼は、そ...

始末屋の多い愛知県からやって来たシンガイ君も、どうやらボクと似たような意見だったらしく、事あるごとによく「ゼータクだわ!」と愛知なまりで怒っていた。「たかが大学で勉強するだけなのに、どうしてそんなにいい所に住まなきゃならんのや!」と、そう言ってよくカリカリしていた。「そんなこと言ったって、ちゃんとした生活してないと、うちの親は心配するんだよ。ボクは子供の頃身体が弱かったし、何かといっちゃあ熱を出し...

アマノ君はカメラの趣味があった。中古の一眼レフをいくつも持っていて、部屋の戸棚のガラス戸の中に大事そうに並べていた。そしてどこかへ出かけ何かいい写真を撮ってくると、彼はすぐにそれを見せてくれ、その苦労や技術について話した。当時はまだAF(オートフォーカス)なんていう、技術も出始めの頃だったから、気に入った写真を撮るには様々なテクニックと、数少ないシャッターチャンスを捉えるための、粘りと幸運が必要だ...

アマノ君やユカリさんなどといった、裕福な家庭に育った人間と大学で知り合い、そしてわずかではあったが彼らと行動を共にすることによって、ボクは初めて貧乏な家と裕福な家庭とではモノの見方や考え方が、ものすごく違うということに気がついた。お金の使い方やそのための考え方、生活の態度や衣食住に関する興味。そう言ったモノが少なくとも、ボクが親から教えられてきたモノとはまるで異なっていることを痛感した。そして彼ら...

そう考えてみると日本には彼らのように、裕福に暮らしている人々が、星の数ほどいることになる。というのも彼らの実家のように、駅前でアパートや駐車場を経営しているような家庭は、日本中に何十万軒もあるからである。そしてまた工務店やガソリンスタンドや、大きな商店を経営している家も、それこそ星の数ほどもあるからである。もちろんそういう人々が全て、裕福な暮らしをしているなどとは言わないが、しかし彼らが自由に動か...

大学に入り京都で実際に、そういう裕福な人たちと知り合いになって、初めてボクは裕福な人間の考え方が、貧乏人の考え方とは根本的に、異なるものだと知るようになった。彼らの行動やモノの考え方、そして趣味に対する態度といったものまでが、自分とはまるで違っていて、それがどうも貧乏人と裕福な人間を分けているのではないか、と考え出した。というのも非常に恥ずかしい話だが、それまでのボクは裕福と貧乏の差は、単にお金の...

共産主義者や宗教人が、なぜいつも頑固でいつも指導者面しているかというと、それは彼らが最初に『自分たちは正しい』と勝手に決め、それを根拠にモノを言っているからである。彼らは現実がどうあれ、まず初めに「自分や自分たちの考えは正しいのだ」と決めつけ、「自分たちは優秀だから愚かなるモノを導かなければならない」…と勝手に優越感に浸りそういう態度をとる。彼らは清末の白蓮教徒が腹に鉄砲や刃物を突きつけた状態で、...

「自分は正しい」ということを、不動の真理としてモノを考えると、「自分は正しくない」という結論は絶対に出てこない。同様に「貧乏人は間違っていない」というところからスタートすると、「貧乏人は間違っている」という答えは絶対に出てこない。考える前に勝手に答えを自分で決めておいて、それを正しいと無意識に判断して物事を考えていたわけだから、当然と言えば当然の話である。がしかしボクは永い間それに気がつかなかった...