第6章、裕福とは、「トク」の積み重ね記事一覧

つい何十年か前には科学が発達すると、人々の食事は流動食のようなものとか、ビタミン剤のようなものに、とって代わられるのではないかという考えがあった。これを一粒飲めば一日に必要な栄養素と、エネルギーが全部摂取できるとか、これを一袋飲めば何日も飲まず食わずですごしても、大丈夫だなどというスーパーフードが登場し、そして毎日それを食べたり飲んだりするのだろうと考えられていた。子供の頃テレビで見たSF映画にも...

人間にとって何が必要で、何が不必要であるかという問題は、どうも時代や文化の問題とは、切り離すことができないようである。これはたしか日下公人さんの本で、読んだことだったと思うのだが、日下さんは学生の頃、イギリスの産業革命が繊維製品の大量生産だったと聞いて、とても不思議に思ったそうである。「それではまるで彼らがそれまでずっと、裸で暮らしていたみたいじゃないか」。日下さんはそう思い、そしてなぜ衣服を大量...

何が必需品で何がムダなのかは、ハッキリ決めることができない。それは時代時代の状況や、文化・文明の進展度合いによっても、大きくその内容を変えてしまうわけであるから、当然といえば当然のことである。だから「これとこれとこれが必需品で、これとこれは不必要」などと、勝手に決めて固定してしまうことはできない。ムダやゼイタクだと思っていたものが、次の時代にはもう必需品となってしまっていたり、或いはそれがあること...

必需品というのを定義するとすると、「それが欠けると精神や肉体の安定が維持出来なくなるような、そういうモノ全て」というのが現在のボクの定義である。そしてそれは人によっても時代によっても、社会によっても中身が違う個人文化のようなもので、普通に考えるよりもずっと広範囲で多岐にわたり、娯楽や快楽なども必需品に入るのである。だからもし何年も何十年も、毎日の出費を抑えたり節約しつづけたりしようとするなら、外見...

貧乏人というのは不思議なことに、「徳用」の商品がなかなか買えない。モノを安く買うためには、一度にたくさん買うということも必要で、容量の大きなものを買えばたいていお得だし、値段も結果的に割安になる。だがしかし不思議なことに貧乏人には、こういうこともできない。というのも貧乏人は手持ちの金が少ないし、一日の出費を○○円に抑えようだなんていう、悪い癖を持っていることが多いから、大容量のお得用のモノが買えな...

必需品というのは結局いつかは、手に入れなければならないモノである。だから機会とお金があるうちに、ちゃんと手にいれておかなければならない。いやお金がなくとも、手に入れなければならない。裕福な人間はそういうことをちゃんとやっているし、そういう意識をちゃんと持っている。だから裕福なのだ。ところが貧乏人は何が必需で何がムダなのかすら、良く分からない。必需品をゼイタクだとかムダだと思って安易に買い逃す。そし...

ボクが二十代のころ、大学の工学部にいて散々苦労していた頃には、「大学というところは自分で学費を稼いで行くモノだ。学費を全部親任せにして勉強するなんて、間違っている!」などという妙な考えを持っていた。今思えばそれは単なる貧乏人のヒガミで、そう思って自分を他の連中より高い位置に置き、武士は食わねど高楊枝…とばかりに、頑張るしかなかっただけの話であるが、しかし改めて考えてみると、世の親たちはなぜ子供の教...

だが必需品という概念で考えてみると、なんとなく分かってくる。裕福な親が子供の教育にお金をかけるのは、彼らが高等教育だとか海外留学などというものを、必需品であると見なしているからであろう。必需品であるなら安く大量に手に入れるのが、賢い人間のやり方である。子供を大学にやるのが「必需」なら、その費用を親が負担するのと子供に捻出させるのとで、「どちらがトクか」「どちらが効率的か」を考え、得な方を彼らは選ぶ...